島から帰って、半月ほどが経過した。
 自分の立ち位置も把握しないまま、海賊と格闘したり、気絶したり、昔話を聞いたり、またあの影を斬ったり、英雄譚の主人公の如く語られた男に会ったりしたが、それらが昼寝の後に覚える、やたらと内容の濃い夢のように思えてくる。
 確かに、午睡から目覚めたばかりのように、レースのカーテンに挨拶を終えた陽光が室内に差し込んでいる。少し儚いその光に、そう遠くない冬の訪れを見る。
 ――場合ではない。

 サワムラを連れだって直ぐにでもリークをぶっ飛ばすつもりであったのに、何故自分が安宿で暢気に午睡を貪らねばならないのか。……答えは3つある。一つに、肝心のサワムラの意識が戻らないこと。二つに、息の根を止める対象であるリークの居場所がようとして知れないこと。そして、いつ終わるかともわからないこの待ち伏せの状況で、急遽捻り出さなければならなかった仮住まいが、自分たちの財産と背比べをしたことである。
 彼が目覚めない今、リークの行方が知れない、いや、あちらから何のアクションもないというのは都合が良い。だが、この自分の現状はどうにかしなければならない。野に奔って獣の肉を喰らえば、少なくとも生きてはいける。だが、このリョウ・ラークは剣を持つ者という以前に、人間なのだ。人間にとって金とは死活問題なのだ。
 自分が金銭を通じた日常の生活にルーズだ……とは一度も自覚したことはないし、またそうではないと断言できる。三年間も諸国を渡り歩き、旅を続けてきたのだ。冒険者という側面において、自分のレベルは平均より高いといえる。
 だが、問題は相棒らしきものである、ロキだ。
 その玲瓏たる容貌の如く、限りある財産を鮮やかに華に変える。
 この場合の“華”というのはつまり、日常生活の華ともいえる娯楽的要素の極めて高い茶飯事だ。更にわかりやすく言えば、無駄に豪勢な食事。冒険者というものは、あまり金に糸目をつけず、食べたい時に好きなものを食べる。長旅において日持ちのする食糧を馬の背に載せるが如き合理性――という、旅の必然を離れた自由人としての矜持である。
 だが、ロキのそれは精神の問題を素通りして、強迫観念の高みにまで達しているのではないか。恐らく今日もまた、市場で愛想をふりまきふりまき、買い出しをしているのだ。こうして一つの宿に腰を落ち着けて初めて知ったが、どうやら旅の途中、彼はずっと遠慮をしていたようで今では毎日3食、貴族のそれの如き食卓が日常にあった。
 このままでは、獣の生活に身を投じる運命にあることは、明白だ。
 リョウはやわらかく加工された陽光に別れを告げ、それがなければ馬の小屋にも劣る安宿を出た。

 ◆

 一つの街に定住し同じギルドで仕事をこなし続ければ、信頼と実績のリョウ・ラークなどと名乗ることを許され、安定した収入を得ることができる。ところが、自分のように放浪をつづける冒険者というものは、全くゼロの期待の中から価値あるものを刈り獲るらねばならない。つまり、護衛や貴重品の運搬など、失敗すれば依頼人が痛手を被る仕事は街お抱えの連中が独占し、残るのは魔物や指名手配者の討伐など、ありていに言えば、一人の賞金稼ぎが欲をかいた結果に野垂れ死のうが構わない……そんな仕事しか残らない。
 リョウは酒場の壁に乱雑に貼られた賞金首の手配書を一瞥し、ため息をついた。
 本来そういった討伐の仕事は事前に調査と仕掛けを立ててから行うものだ。今朝見て昼にぶっ殺して夜は酒場で宴会、というわけには到底いかない。ここに貼ってある化石らしささえ醸し出す紙のうちに、どれだけの真実があるだろうか。中には只の怨恨による殺人依頼があったりして、仕事をこなした次の日には自分が指名手配になることだってある。
 ……綿密に準備を固めるだけの金銭的余裕が、自分にはあるのか。
 ここはもう日雇いの炭鉱夫にでもなった方が、賢明かもしれない――。
 一仕事終えたばかりだろうか、盃が砕けそうな勢いで乾杯を交わす冒険者たちを横目に、リョウはカウンター席にどっかと尻もちをつく。開口一番、
「一番安い酒をくれ」
 ドリンカーは、鼻で笑う価値すらない、とでもいうような無表情で頷いた。
 今は泥の如き安酒に払う金すら惜しい。だが、炭鉱夫として、冒険者のプライドをほら穴に埋めるくらいなら、泥を飲む方がましだ、となけなしの貨幣をカウンターに放り投げてやった。
 何を混ぜたのか尋ねたくなるような白く濁った液体のいっぱいに注がれたグラスが、乱暴にカウンターに叩きつけられる。金がないと、憐みすら買えない。歪んだ口をそのままグラスの水面につけると、店内を一つみまわす。多くのギルドは、酒場を兼ねる。酒を飲みながら顔見知りと会話している者が多いが、中にはただ無作為に武器の手入れを行っている者もいる。世界に名を馳せるような港町でも、一年を通して獣ばかりがそこを訪れるような村でも、そう変わらない光景だ。
 ひとまず、店の中にいる冒険者をを観察してみる。例えば、さっき派手に乾杯を交わしていた男たちなどは一仕事終えたばかりであるし、あれだけ多くの人数が親しげな友人のように会話しているのなら、それはいわゆる“町のお抱え”であるか、傭兵だ。そういった輩にはあまり期待できそうもない。独り、できれば武器を磨く、荷物を持たない男にあたりをつける。つまり、餓えている男。ちょうどそんな男は、壁際の席に見つかった。
 この街に居着いて長いのだろうか、冒険者というよりは小市民然とした風体を装っている。だがそれは野獣に首枷を嵌めるように、彼の身体の表面で弾かれている。何を思って手持無沙汰に武器を研いでいるのかはわからないが、およそこの酒場にいるような人間ではない。
 伏し目がちに武器を磨いていた男は、こちらの視線を素早く察知すると腰を上げグラスを取り、さりげない感じを演出しながらこちらに歩いてきた。目だけを細めてちょっとした笑みを浮かべているが、あの口元は簡単に崩せるものではない。崩す必要がない人生を送ってきた男だ。――油断ならないな……リョウは外した視線を再び男に向けて、心を構える。
「あんただけ、目が違う」
 男はかすれた声で脈絡なく切り出すと、横にグラスを置いた。何を言わんとしているかは見当がつく、おそらく同じことを感じたのだろう。だが、敢えて聞き返す。
「俺の目は、俺の前にしか着いてないからな。あんたもそうだろ?」
 問われて、男は口元を引き上げる。笑みらしいものの外見的要素は最低限満たしている。
「そうだな、俺の目がまさか俺を離れて空中にでもあったり、目が裏返ってたなら話は別だ」
 男の気分良さそうな手が、グラスに入った透明度の高い酒を口に運ぶ。グラスから噴き出た水滴まで美味そうに見えるが、自分のそれには手をつけないでおく。かすれた声と同じように、砂漠に打ち捨てられた麻のような髪。礫岩のような硬質な目。声と物腰を含めてそれらは同業者にまず侮られることのない練達の風格を構築している。だが意外に若いことをリョウは彼の先ほどの笑みらしいものから見出した。
男は咳払いを一つ、喉の調子を整える。
「そう、あんたと俺はこんなところでくすぶってるような肉塊じゃない。できれば仕事をかっさばいて上物のワインと洒落こみたいが、肉塊にもなれない木片が仕事を独占するばかりじゃそれも無理……だが、そんなうすのろどもが束になっても得られない報酬のあてがある」
 男はジョッキを打ち鳴らす男たちを忌々しそうに見やって、こちらに挑むような眼を向けた。大当たり。にやつきそうになるのを堪えて捻じ曲げ、無表情に変えておく。
「暗殺とか密輸とかじゃないだろうな?」
「そんな使い捨ての無粋な仕事じゃないぜ。俺とあんたが仲良く酒池肉林できる大仕事だ。……実は古美術品を鑑定に出せそうでな」
 声を低く、俯きながら男は言った。
「あんた、マジで言ってんのか?」
 反射的に驚きが口をついてでる。この会話の流れで古美術の鑑定が出るとしたら、アンティークのことでしかない。
 信頼と実績を望まれぬ賞金首の張り紙は、およそ“アンティーク”だ。張り紙は経年劣化をするどころか、逆に骨董品としての風格すら放つ。討伐不可どころか存在証明不可。不明の土地、不明のものから湧きあがった噂に過ぎないが、その賞金首としての価値は確かに存在し、好事家から保証される。アンティークとしての賞金首。
多くの隠された物事には秘密があるわけで、その秘密を暴けば神秘は没落する。その没落の快感を求める道楽というのは、特権階級の道楽だ。あるいは、本能的にその暴露に価値があると、彼らは知っている。都市の発展は自然の暴露であるし、文明の発達もまた人間という現象の暴露である。“冒険”者にとっても、秘密を暴くということはそれ自体に価値と栄光があることだから、蜃気楼にも似たアンティーク的賞金首はいつになっても姿を消さない。いわゆる夢というやつだ。冒険者にその存在を証明する夢を抱かぬものはいないが、それを信じるものもまたいない。目の前の男でなければ、嘲る前に一発殴っている程だ。
「こんなナリをしているが、俺はヴェスタから――」
 声が上手く出なかったのか、男は大きく咳払いをする。
「ここまで来たが、その道中でな」
 ヴェスタは、この大陸においてこの街の対岸に位置する大陸有数の貿易都市だ。だが、まともな路線や道案内があるわけでもないこの大陸を、この男はおそらく陸路を使ってここに到達した。中継地点として利用できる村々は両手で数えるくらいには点在するが、まともな人間ならその“片道”を利用することはまず考えまい。湿地・山脈・森林と、鬱陶しそうな地形目白押しの陸路は、容易く隊商を殺す。
「エクスプロアか……アンティークを見つけざるを得ない領域だな」
「無論、そこをおいて俺の居場所は世界にはない……。問題は、あんたがこの商談に乗るか乗らないかってことさ。話を聞き終わって『わかりました、じゃあ一人でぶっ殺しに行きます』ってのはちょっとしたイラつきになるからな。だがもし乗ってくれりゃあ、ハンターのあんた、エクスプロアの俺、双方に薔薇色の未来と金冠の如き栄光が待ってること請け合いだ」 
 目が合った瞬間から返答はわかりきっているくせに、いちいち煩わしい男だ。まだ真剣にこちらを見据えてくる眼。冒険者として徹底しすぎる気質が培われるのは自然なことだが、この男のそれは弓兵を侍らせた城砦のそれだ。強固である。自分もそれに倣わなくてはならない、敢えて渋って見せよう。男の提案を撥ねる心算はないが侮られてはたまらない。
「しかしな、あんた俺を信用しすぎじゃないか?」
「俺はここ数カ月この酒場で待っていた。お前が一番だったってことだが、不服かい?」
 この男、余裕綽綽じゃないか。その財布も。
「ンなこたぁわかってんだよ、俺が言いたいのは俺も同様にあんたを信用できるかどうかってことなんだ。確かにあんたが腕の立つ人間だってのは見てわかる。だが、嘘を吐いてないとどうして信用できる? 俺としては、何かしらの保証が欲しいってことさ」
「なんだ。そういう話か」
 こともなげに男はそう言うと、ため息を吐いてカウンターに麻袋を放りだした。ガチャ、とぎゅう詰めになった金属が叩きつけられる音がする。
「それが今持ってる金全部だ。そんなくだらない保障だなんて言葉、使ってくれるなよ」
「へへ……話が早い」
 男の心底くだらないといった表情に“毎度”と言いたくなりそうだったが、そうするとどうも自分が下卑た盗賊紛いの賞金稼ぎじみるので控えておく。まぁ実際自分の資金繰りは逼迫していることは確かだし、先立つものがなければ動こうにも動けない。下衆な笑みが浮かびそうになるのを堪えて、仕方なく納得した表情を浮かべる。
「んじゃあ、商談を始めようぜ」
 男はグラスを脇にどけてカウンターを袖でこする。次いで懐からまだパリパリと音を立てそうな厚紙を取り出し、カウンターに広げた。旅に不慣れな人間にはちょうど良いくらいの書き込みのなされた地図のようだ。
「俺たちがいるのはここだ。まあ、東大陸の都市としてはこれ以上ないくらい完成されてる、貿易の拠点だな。海岸に沿い発達した陸路と北にある大国、突出した半島は港を置くのに絶好。西には山脈を望み、南に群島……。ま、この地図に書いてあるとおりだな。一目瞭然だが、この地図、西の山脈以西まともなシンボルマークがない。何故だかわかるか?」
「必要がないからだ」
 以西の未開を押し進む人間は無きに等しい。だが、こいつは何を言いたい?
「あぁ。この程度の地図を持つ人間に以西は必要ない。だがな、こいつを編纂した人間にとっても必要性が打ち出せなかった。何故って、書きこむべき要素を見つけられないんだからな。――山脈以西しばらくの間、沼になる直前の黒土と、その色に似た影を注ぐ広葉樹林の空が続く。俺たちみたいな地図に自らの名を刻みたい手合いでも、そこから先はたとえ白紙であれ、書き込みをする余地がなかった。あの山の北のふもとには村があるらしい、湖の傍には人を食うものの群れがあるらしい……“らしい”に留まった情報の集積を、誰が地図に書き残せる? それじゃあ、人が外海に挑戦する以前世界には果てがあった、という忌まわしい過去と変わらない。だが、俺は書ける」
 男は再び懐に手を入れ、また紙を取り出し置いた。先ほどの厚紙とは材質が違う、丈夫だが薄汚れて黒ずみ端で糸がほつれるようになった紙。男が用心深く丸まったそれを掌で引き伸ばすと、ちょうど山脈を描いた部分が重なって、その向こう側に様々な記述を載せた地図が新たに出来上がった。地図の西端にはこちらの山脈と対になるような山脈があり、それはやはり内陸に冒険者の侵入が阻むものである。
 初めからこの男を贋者だとは思っていない。だが同様に、この地図も贋ではないのか。
 リョウは暫く未開の地に目を見張った。
 冒険者たちの間を流れる口伝によって存在は認められていた点在する村々の位置が明確に打ち出され、おそらく確からしく存在するであろう川や湖、森や平原の領域が描き分けられている。あろうことか、信じられないものの位置まで記していた。
「おい、遺跡らしきものって記述がそこかしこにあるんだが……」
「ああ。実際中に入ってはいないから流石にそこは“らしきもの”止まりだ。一つ一つ暴いていけば、どれか一つくらいには致命的な呪いを貰いそうだしな。それに、あまり興味をひかれない。――いや、そんなことはどうでもいい。細部は盗掘屋にでも任せておけばいいが、俺が今誰よりも先んじてしなければならないのは、この地図を完成させることなんだ。こんな遺跡の財宝の一つや二つ、誰にだってくれてやっていい。勿論、この仕事が終わった後でお前さんが記憶を頼りに発掘しようが構わない。問題はここだ」
 男はそう言って、地図の一点を指差した。そこは、大陸の東側、つまり今この酒場がある街からそう離れていない地点だが、山脈を越えて大陸の横幅の2割ほど森林の続く地帯であり、男が指差している一帯は“未踏破”という注意書きとともに、なんの記号も記されてはいなかった。
「そこには一人で踏み込めないから、俺を雇おうってわけね」
「ああ。正確には、依頼じゃなくて共同でアンティークをぶっ殺したあとに、報酬を山分けするって算段だ」
「あれ、さっきの金は?」
「あれは準備金だ。乞食みたいな下卑た顔するから貸しただけで、きっちり後で回収させてもらうぞ」
「チッ」
 わざとらしく舌打ちしてやったが、目の前の男は表情一つ変えずに無視する。その無表情で悪気なさそうに辛辣な表現を使う男だが、相手の怒気を完全に黙殺するあたりに自分みたいな手合いの扱いに長けている感じだ。気に食わない。
「で、その踏破不可能な領域を不可能たらしめているアンティークってのは、一人じゃ狩れないが二人なら狩れるような代物なのか?」
「生憎狩る方はもう廃業したんでね」
 男はそう言うと、先ほどまで入念に整備を行っていた剣を鞘から取り出した。
 目立った装飾があるわけではなし、尋常ならざる鍛冶師の業もなし、いたって普通の刀剣だ。旅慣れた人間が持ち続けられるような愛着と練磨を兼ねる耐久性のあるものでなく、男が持つには力不足という感が否めない。ただ、男がこれを持つ理由は一目で見取れた。よく磨かれ新古品のようになったその剣の刀身には、大きく削れた部分がある。その身に余るものに斬りかかったときのようなひびを伴うものではなく、鋭く抉られたような空洞。
「これじゃあ狩るに狩れないってわけさ」
 そう言って、男はその剣の価値を封じ込めるように鞘に収めた。
「ふうん……」
追及すれば要らぬ詮索になる。それに、自分とは最も遠い選択だ。その姿勢に気を良くしたのかはわからないが、男は地図を丸めてリョウを真正面から見詰めた。
「ここまで話しておいてなんだが」
「なんだ」
 男はニヤリと笑う。
「まだ、名前を聞いていなかった。お前みたいなやつは特に興味がないかもしれないが、俺の名前はイングウェイだ」

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